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ああ言えばこう言う、のでき方。
美術、自然、教室に関係ないシリーズです(笑)

さいきん私の中で、「言葉での表現」についての動きが活発です。
それで、自分の言葉に対するアレコレを凄くじっくり観察することになってるんですよね。それを文章にしてみたくなったので、こうしてつれづれと書いております(^-^)

先日の記事、「ふつうって、多分ない」というクソ長い記事では、

「ふつう」という言葉が表現するものを、どうやってインプットしたら自分としてはいい感じなのか。

ということを書きました。

今日は、自分の言葉のアウトプットについて。


私が言葉を発するときっていくつかパターンがあって、ざっくり分けるとどうも、下の図のようなんですね。

ああ言えばこう言う、のでき方。_f0224207_13534554.jpg
例えば「美味いっ!」て感じたときに、どういう風に言葉としてアウトプットされるか、、っていう模式図なんですけど、通じますかね??

ハートで表しているのが感覚、アタマのもくもくは脳ミソで思考、を表しています。


(A)感じたことをそのまま言う。

(B)感じたことを理性や気遣いなどでラッピングして言う。

(C)凄く感動したとか理性や気遣いが働きすぎて、理屈っぽく言う。説明的になるので話が長い。

(D)感じたけど言わない。


私は、どうも(C)になる事が多いです。
だからブログ記事も長い、!
この記事も多分長くなるっぽいです(笑)

「美味しい」とかだったら、まだ端的に言いやすいけど、一言で言えないようなことについてはかなりの確率でそうなりがちみたいで。
なんでそうなりがちか自分をよく見つめたところ、

・一言で言えないので、それにフィットする表現を探しながら言葉を紡いでいる。

・微妙な感じを相手にしっかりお伝えして、誠実なコミュニケーションを計りたい。

、、、という行動と心情から来るもののようだとわかりました。


これだけ見てみると、私めっちゃいい人じゃん♩なんですが、実際他者とのコミュニケーションでコレをすると、、、重いんですよねー。

「もっとまとめてから言え!」って怒られたり、
内容が相手の考えと違う場合「こちらの言い分を全く聞かないで、いい訳ばっかりだ!」って受け取られて、ピンチに陥ったりしちゃう。

一生懸命相手に応えようとすればするほど逆効果で、しまいには「ああ言えばこう言う」「頑固者」って言われたりしてさort

それは困るので、(D)の「何も言わない(言えない)」を選択することもあって。
で、大概そこで言わなかったことが後で焦げついて、結局困ったりしてさ、、(苦笑)

さらには、何か言わないとなーと思って
(B)「感じたことを理性や気遣いなどでラッピングして言う。」を試みるも、自分の中でフィットしてない状態で何とか応えようとするから、慣用句的な受け応えになったり、本意とだいぶ離れたことを言ったりして、誤解を招くことに、、(苦笑)


相手にもよるし、自分のコンディション次第なところも大きいので、全部こうなる訳ではないですよ。
ただ、不安や恐れを抱いているときってこうなりやすい気がしてます。とほほ。


いやあ。またしても自分の器の小ささを公開してますが、、
私って、どんだけ、、
_:(´ཀ`」 ∠):


とは言うものの、
感じたことを詳細に言葉で出してみるというのは、それはそれで凄く良いことだとも思います。
それは自分の輪郭を辿りなおすことであり、最新の自分にアップデートする手がかりになるというか。。
そういうのが嬉しくて、私はこういうつれづれなる記事を書くようになりました(^-^)

感じていることやアイディアって、
一回ぜんぶ書き出して机の上に広げてみて、どれが一番フィットするのか探す、、とかやるとクリアになるじゃないですか。
いわゆるKJ法っていうヤツも、上手くいくと気持ちいいですよね。
デッサンの時に、複数のアタリをつけた線から「コレだな」って選んでカタチを決めていくプロセスとも似てますね。

それを自分ひとりでじっくりやった上で、より洗練された言葉を相手にお届けするのも大事だし、
生の会話だと、相手へ発する一連の言葉の中でそれをする事になりもする。

そして、会話の中で行うそれは、ひとりでじっくり探すことのの数十倍の密度があるなあとしみじみ感じています。


さいきんの私は、そういう機会と相手に恵まれていて、本当にありがたいなあと思いながら上の図やこの記事を書きました(^-^)

「ああ言えばこう言う」は私も相手もちょっとしんどいので卒業したいし、こんな記事を書いてることに思うところがある方もいるかもしれないけれど。
こうやって言葉を出してみること、表現を探っていくことはずっと続けていくと思います。
やり方や自分が変わったり変わらなかったりしながら、希望と愛を持って。



ではでは、また!



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# by nijiironijiiro | 2017-09-06 15:44 | つれづれ
「ふつう」って、多分ない。
さいきんよく思うんですが、
「ふつう」っていう言葉は存在するけれど、そのイメージに反して、万人に共通する「ふつう」って、「美味しいごはんを食べてホッとする」とか「ぐっすり眠るとスッキリする」とか、ごくごく本能に近い限られた事にしかないんだろうなー。

いよいよ美術とか自然とか教室に関係ない、つれづれになって参りました(笑)

さて。

「ふつう」って凄くよく使う言葉ですよね。
ものごとを形容する言葉として、かなり便利で使いやすいものだと思います。

でもね、
自分の器の小ささを発表するようでアレなんですけども、、

私は、自分の言ってることややっていることに対して「それって、ふつうは〇〇でしょ?」って言われるのがすごく嫌だったんです。

ふつうが正義で、ふつうとは違うところがある私が悪だ、、と決めつけられて否定されているような気持ちになるから。

「ふつうは〇〇でしょ?」の後に、「だから〇〇にした方がいい(説教)」とか「なんで〇〇しないんだ(怒)」とか続くことも多かったのでね、反射的にそんな気持ちになってしまいがちな訳です。

もちろん、そんなつもりなく言ってる場合もたくさんあって、それもよくわかるんだけど。
けれど、「ふつうは〇〇でしょ?」ってだけだと、はみ出す事がダメな感じというか、同調圧力みたいなものを感じて、どうも息苦しさを感じちゃう。
黄門さまの印籠よろしく、思考停止ワードの趣きがあって、個々の違いを認め合うことが絶たれてしまうことも結構ある気がしていて。

だから、「ふつうは〇〇だけど、あなたは□□なんだね」とか、「自分は(ウチは)〇〇だけど」って言ってくれると全然違うのになぁ、、そしたらその後の「〇〇した方がいい」とか「なぜ□□なの?」も違って聞こえるだろうに、、って思ってました。
あと、自分はそういうことは言うまいと、すごく気をつけていました。

まあねー、
ふつうっていうことで安心できる側面もあるからね。ホモ・サピエンスは集団で生き延びて繁栄して来た生き物だし。私も「ふつう」が全部嫌いなわけじゃない。ただ、それだけが正解みたいなのが嫌なんだ。。たまに観るテレビでやってる嫌な感じのイジリとか、不倫を一斉に凶弾するムードとかさ、、ブツブツ、、ブツブツ、、、


でね、
そんなことを思ううちに、ふつうとはどういう事ぞ?と考察を重ねることとなりまして。
結果、冒頭に書いたような「万人に共通する『ふつう』とは、ごくごく限られた事にしかない」
と思うようになりました。

それ以外の「ふつう」って、ホント人によるんだなぁ。
私の「ふつう」は、私にしかわからないし、
あなたの「ふつう」も、あなたにしかわからない。

専門的なこととか業務上での話だったら、「ふつう」っていう共通感覚は持ちやすいと思われる(それはちょっと心地よかったりする)けれど、

あらゆる雑多な情報・気持ち・習慣が、それぞれにおいて存在する日常生活では、ホント「ふつう」って、多分ないなと。


書いてみれば人生相談とかでよく言われているようなことなんですけど、自分で実感として辿り着いた感じです。
そしたら、なんだか随分ラクな気持ちになりました。前述のブツブツ言ってたようなこともそこまで気にならなくなったし、「ふつうは〇〇でしょ?」って言われても、前ほど嫌じゃないかも〜って(^-^)


いや、まだ反射的にシュンとしてムカッとしちゃうのかな?
そうなりそうだな(笑)
そんな時は、占い師のしいたけさんが推奨していた、

※これは個人の感想です。

って、テレビのテロップみたいに、それを言ってる人に添えてみる、っていうのが良さそうです。


※これは個人の感想です。


コレって最強ですね。

言い換えれば、
あなたの「ふつう」も、私の「ふつう」も、それぞれ大切にしてていいよ、って事ですから。


あとね、
結局のところ、「ふつう」のイメージに囚われて、自分を人と比べて「ふつう」かどうかを一番気にしていたのって、私だったんですよね。すごくカッコ悪い話ですけど。

あ、前半に長々と書いた部分って、ひとことで言うとコレだったかも。。わはは

同調圧力っぽいムードに疑問を抱く、自由が好き、私個人の思いや感覚を大事にしたい、という感性は別にそのままでよくて、それでも必要以上にナーバスになってたってことは、そういうことなんでしょうね。


実は結構さいきん、「ふつうは〇〇でしょ?□□はやめた方がいい」って何回も言う友人にムッと来て怒っちゃったんですよね。モヤっとしながら我慢してたんだけど、だんだん我慢できなくなってね。尋ねられたことに対して自分の思いを述べてるだけなのにー!って。

まあ、怒ったことについてはびっくりしてたけど受け入れてもらえたし、心配なんだよって言ってくれたのでとても有り難かったのだけd、できればそうならない方がハッピーだしね。

この時、

※これは個人の感想です。

を添えていたら、ちょっと違ったかもです。

多分その友人は、そんなに何度も「ふつうは、、」って口にしていたとは思ってなさそうで、それでも何回も出てきてしまう程、私のことを心配してくれていた訳で。

「ふつう」=安心、安全 でもあるので、ふつうじゃないってのは危ないよーって心配になる。そう言う温かい気持ち。


言われて、反射的に嫌悪感を感じてしまう表現(「ふつうは〇〇でしょ?」)だったとしても、

※これは個人の感想です。

って添えたら、
そこには温かい気持ちが起点としてあるんだ〜って、気がつける(モヤっとしたり怒らなくても)率がグッと上がる気がします。

結局モヤっとするのかな?(笑)
そしたら、その時点で「ふつうは、って言われるの嫌だからヤメテ」って言えばいいよね。


もーなんかいろいろ恥ずかしいわー(笑)
ごめーん!
_:(´ཀ`」 ∠):


てな訳で、

「ありもしない『ふつう』のイメージに振り回されないで、私の『ふつう』も誰かの『ふつう』も大切にして、ラクに生きたらいいなと思った。それをするのに『※これは個人の感想です。』って、めっちゃ有効だと思う。」

というつれづれでございました(^-^)


上述のしいたけさんの占い、なかなか良いですよ。オススメです♩
↓ ↓ ↓ ↓



ではでは、また!



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# by nijiironijiiro | 2017-09-02 01:23 | つれづれ
夏の思い出
夏休み最後の日。
小さな友だち、Kちゃんの夏休みの宿題「絵を描くやつ」の助っ人に行ってきました(^-^)

助っ人と言っても、モチーフの草花を帰り道に一緒に摘んで、後は一緒にそれぞれで描いただけなんだけどね。

お母さんも一緒に、3人でおしゃべりしながら描き描きするとても良いひとときでした♩

こちらがモチーフ、ヨウシュヤマゴボウ。
夏の思い出_f0224207_22375720.jpg
すごく立派な株が自生していて、少し分けてもらってきました。
描いている間にしおれ気味だった葉っぱが水を吸って、色を塗る頃にはシャキーンと全然違う様子に!逞しいなあ。


3人の作品。
夏の思い出_f0224207_22382714.jpg


Kちゃんいわく「絵は嫌いじゃないけど、お母さんとかみんなで描くのがいい」とのことで、なんかとっても可愛いなぁ!今日はみんなで描けてすごくよかった♡って思いました(^-^)


無事全ての宿題が終わって、
明日持って行くものの準備も済ませて、
美味しい晩ご飯や、
UNOとかボードゲームを沢山楽しんで。
夏休みの思い出の写真や、いま好きなものの本とかも沢山みせてもらって、おしゃべりして。

iPadやスマホを駆使する小学生に、「あの頃の未来にいる感」を感じつつ。
今も昔も変わらぬ「夏休みの宿題ってなんでこんなにたくさんあるのか、、」とか、
「私は絵とか工作以外は全部イヤだったな〜、好きな教科だけだったらこの量でもいいのにねえ」って思いました。
みなさんは小学生のころ、如何でしたか?


ステキな夏休み最後の日をご一緒させていただきました(^-^)

Kちゃん、Sさん、
どうもありがとう(^-^)



ではでは、また!



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# by nijiironijiiro | 2017-08-31 22:15 | つれづれ
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》に再会したこと

岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》に再会したこと_f0224207_22400000.jpg

先日行った美術館で、昔好きだった絵とおよそ20年以上ぶりに再会しました。
あまり下調べせずふらりと行ったコレクション展だったので、意外な再会がすっごくうれしかった^^
場所は竹橋の東京国立近代美術館。
なんと、このフロアはフラッシュを使わなければ撮影OKなのでした。
最初の画像は、喜んで写真を撮る私。一緒に行った友人が撮ってくれました^^



その絵はこちら。

岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》に再会したこと_f0224207_22400761.jpg
岸田劉生(1891‐1929)
《道路と土手と塀(切通之写生)》
1915年 油彩、キャンバス56×53 cm


喜びに手が震え、どうにもゆがんだ長方形に撮れてしまいましたが、、笑
私がこのまえ観た、額に飾られたところを綴りたいので、この写真でご紹介します^^


もうちょっとちゃんとした画像と作品解説は、こちらのサイトがわかりやすいと思います。
 → 鑑賞教育キーワードmap



岸田劉生といえば、《麗子像》が有名な大正~昭和初期の画家です。
この《道路と土手と塀(切通之写生)》も、かなり有名な作品で教科書に載ったりしています。ご存知の方も多いかと思います^^
 → ウィキペディア 岸田劉生

そのへんはウィキとかで読んで頂くとして。(いまウィキをみたら、没年が38歳で、私ひとつ違いで亡くなってることに驚いた)
私の個人的な思い出ばなしと体験を。

《道路と土手と塀(切通之写生)》は、まず美術の教科書で出会っていて、とてもステキだなあって思っていたんです。中学か高校かは忘れました。

で、たしか高校生のときにどこかの企画展?で実物をみて、感激したんですよね^^

そのときの私は、まだ受験とか関係なく部活で油絵をモリモリ描いていたころで、こういう素晴らしい作品を観るのはほんとうに面白かった。
この絵を観たときも「どーやってこういうふうに描くんだろ?」「いいなあいいなあ、私もこういうふうに描きたい」と、それこそ舐めるように貪欲に観た記憶があります。
(今思うと、若さゆえというか、怖いもの知らずというか、巨匠の作品をまるで「自分にもできる、射程範囲内」とばかりに思っていたフシもあり(笑)。だからこそ、今では考えられないような貪欲さで観ていたんだなあ、ヤング!)


さてさて、アラフォーの私が展示室の仕切りを曲がると《道路と土手と塀(切通之写生)》が目に飛び込んできて。
「あっ!!あなたは!!!」
いや~~~、びっくりしたなあ。そして、とってもうれしかった^^
けど、どこで観たのか全然思い出せなくて、、


でもたしか絵はがき買ったよな~。

高校生だったな、部活めっちゃ楽しかったな、油絵大好きだったな。

めっちゃ近くで観ると、筆の通り道とかがわかって、ツヤと色と同時に手の動きとかも想像したりして楽しいんだよな~。(いまもそうやって観るけど、このころからそうなのか~!)


こんな記憶が、再会した絵の前でパタパタと蘇ってきました。


記憶だともっと縦長の絵でした。
この、ずんずんと登りたくなる坂の伸びていくようなイメージが、そういう記憶にさせたんでしょうか。

解説を読むと、およそ100年前の代々木の風景だそう。そうなんだー!
そういうブラタモリ的な面白さを感じるのは、高校生の時にはなかった、今の私の観点なんだな。

ひさしぶりに観ても、やっぱり素晴らしかったです。
空の青、土の黄土色、草、砂利、影、、描かれたすべての色彩が美しく。
上品なツヤと、力強くて慎重な筆致。


色もマチエール(画肌)も、写真では到底!!体験できませんので、ぜひ実物をみていただきたいです。

※こちらで観られます。所蔵作品展 MOMATコレクションは11/9まで。見ごたえたっぷりでオススメ♪
↓ ↓ ↓ ↓


でね、もうひとつ、うれしかったことがあって。

それは、同行していた友人に「この絵、高校生のときに観てるんだ~!」「そのころ部活でめっちゃ油絵描いててね、、」と、再会のよろこびや思い出を話せたこと。
聞いてもらえて、うれしい気持ちを共有できて、さらにうれしくなりました^^

展覧会は一人でゆっくり観にいくことが多い私ですが、こうしてその場で、作品を目の前にして、しばし語らえたのはとってもよかった^^
たからものが二乗、三乗とふくらんでいくような、ステキなひとときでした。
好きを話すって、こんなにうれしいんだね。

そもそも、この友人が展覧会に誘ってくれたのがきっかけで再会できたわけなので、Sさん本当にありがとう~!!



ちょっと話が逸れるんですが、、
さいきんの私の中で、「出会いなおす」ということが頻発しています。

小さなころに好きだった物語に、たまたま本屋で目があって、なぜか涙がでてきてしまったり。(もちろん買って帰った)
久しぶりに会った中学の同級生に、あのころ話せなかったうち明け話をする機会ができて、あらためて自分が思っていたことを再認識したり。
先月ご紹介した遠藤利克展も、「出会いなおす」ひとときでした。

なんというか、これらはとても胸がふるえる体験です。

生きていて、よかったなあ。



ではでは、また!



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# by nijiironijiiro | 2017-08-19 00:25 | つれづれ
遠藤利克展ー聖性の考古学(埼玉県立近代美術館)に行ってきました。オススメです♩
遠藤利克展ー聖性の考古学(埼玉県立近代美術館)に行ってきました。オススメです♩_f0224207_18030196.jpg

展覧会のレポートです(^-^)
遠藤利克さんの彫刻の展覧会に行ってきました。会場は北浦和の埼玉県立近代美術館。

とっても良かったです。

大きな彫刻作品が配置された会場を巡りながら、受け取る感覚や作者の言葉に浸ることが出来ました。

また、ずっと第一線を走っているアーティストの「現在」をまとめて観ることが出来たのも、臨場感というか、作者と作品の息吹をより感じられるようで楽しかった。

展覧会の概要なんかはサイトでチェックしていただくとして、、
(美術館HPのキャプチャ)
遠藤利克展ー聖性の考古学(埼玉県立近代美術館)に行ってきました。オススメです♩_f0224207_18010114.jpg


ごくごく個人的な感想、体験を。

私にとって、遠藤利克さんって「モノ派の次の段階を模索する、黒くておっきな作品を作る人」という感じで、どこかで観たことある有名な現代アーティスト。くらいの認識だったんですね。

しかも、ガツガツと展覧会に行っていた美大生の頃の知識と印象で。
それを、20年近く経って、改めてじっくりと味わう機会が出来た。しかも、回顧展ではなくて、近作〜現在の展覧会。

あの頃たいして好きでもなかったけど、印象には残っていて。今の自分が興味を抱いて、プラリと観に行ってみた。

作品と出会うと同時に、浦島感というか、かつての自分に出会い直すようなひと時でした。

作品っていうのはずっと残る、作者は進化して行く、観る自分も時を経て変化して行く、、
時間とのランデブーを味わえるのも展覧会の醍醐味だなぁと思いました。

因みに、会場の埼玉県立近代美術館が、埼玉っこの私にとって小学生のころから馴染みのある場所でして、それも大いに影響していそうです。まあ、もういい歳になりつつあるので、色んな場所にそういう感覚はありますよね(^-^)

他にも、会場でこんなことを感じた、面白かった、、とか書こうと思いましたが、なんか未だ観てない人に悪いような気がして(笑)、また別記事で書こうかな。


展覧会や美術館っていうのは、極めて個人的な体験をするところだと思っています。
もっともらしい感想を抱く必要もないし、正解もなくて。
「現代アートってよくわからないから、、」と敬遠される方もいらっしゃるけれど、よくわからないままで、未知のものを味わってみるというのもまた一興(^-^)
観てみて「なんでこんなものをつくるんだ、、?」と思ったら、解説文や作者の言葉などが手がかりとして用意されていますよ。解説文を読んでチンプンカンプンでも全く問題ありません。「なんじゃそら!」とツッコミながら、それでも会場の空気や自分が味わった印象を楽しんだらいいと思います。

遠藤利克作品に初めて触れる方にも、いつか観たことのある方にも、とってもオススメです♩

のどかな公園の中にある美術館で、小さいけれど建物自体も面白くて、都心の展覧会場とはひと味違うロケーションもいいですよ(^-^)

8/31(木)迄ですので、ご興味ある方はお早めに。

↓ ↓美術館HP↓ ↓



ではでは、また!



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# by nijiironijiiro | 2017-08-02 17:21 | つれづれ